|
|
| |
| |
| 映画はもちろんのこと、様々なエンターテイメント作品に描かれている「ユビキタス的な」ものを
ピックアップして、ユーモラスかつシニカルに語ってしまおうというコラム「映画の中のユビキタス(Ubiquitous in Entertainment)」。第13回目は、「韓流ブーム」とユビキタスとの接点を考察する緊急企画をお届けいたします。乞うご期待! |
|
| |
映画とユビキタスの関係を考えるこのコラム。近ごろ、映画の中のユビキタスにみる国民性にまで勝手に発展させちゃったりなんかしていますが、気がつけば、日本は空前の韓流ブーム。韓国映画を語らずに映画とユビキタスを考えたとは言えなくなっているではありませんか。そんなわけで、韓国映画の中のユビキタスを考える緊急企画です。
ちまたには韓流が偏在しています。特にウケているのはメロドラマっぽいものが中心に見えちゃうのですが、とにかく、いたるところに韓流がはびこっている、それはまさにユビキタス社会のように、ってのも強引すぎるので、少し作品を眺めることにします。
例えば『猟奇的な彼女』(チョン・ジヒョン、チャ・テヒョン出演/クァク・ジェヨン監督/2001年)はインターネット小説を基に制作されたもの。ちょっと凶暴な彼女が、別れた恋人を忘れ新しい思い出をつくろうと、人のいい彼を振り回す。シナリオを書くことが趣味の彼女の発想には「未来人」が欠かせないけれど、この「未来人」は別にユビキタスでもなんでもありません。彼女と彼が距離を置く期間、彼は思い出をインターネットに載せるけれど、そのことが映画にうまく機能しているわけではありません。アレレ?
『ロスト・メモリーズ』(チャン・ドンゴン、仲村トオル出演/イ・シミョン監督/2001年)は、もしも伊藤博文の暗殺が失敗していたら2009年には...
、という仮想未来を描く分(?)、多少デジタル装置を使いこなしているような場面が出てくるだろう、よし! と期待したものの、近未来っぽいにおいが漂う日本総督府ソウル街に、驚くような進歩を発見することはできませんでした。トホホ。
|
『ラブストーリー』(ソン・イェジン、チョ・スンウ出演/クァク・ジェヨン監督/2003年)では、主人公の女性とその母親のラブストーリーがリンクします。母親の時代に手紙だったものが、現代では電子メールが使われる! といったって、とりたてて騒ぐこともない通常の連絡ツールです。
ほかに『八月のクリスマス』、『ほえる犬は噛まない』、『殺人の追憶』、『子猫をお願い』などを観てもデジタルっぽいものが有効に使われているシーンはほとんどありません。なんだか韓国映画とユビキタスの関係は薄いもよう。少なくとも日本でウケている韓国映画においては、デジタルツールを使いこなすよりは、愛情とか友情といった人間味のある心が圧倒的です。韓国は儒教を重んじる国。絶対的な宇宙霊と人間的生命の一体化を基に、異なる世界の対話を可能にし、平和につながると考える...
、細かい仕掛けより壮大なストーリーというカンジです。待てよ、異なる世界がつながる... ?
そんなこんなで、映画そのものにユビキタスが見られなくても、映画を受容する日本人の行動に、ユビキタスを発見!人々は映画やドラマに共感しては、登場人物と同じ体験を求め、彼らが歩いた道、座ったカフェなどのロケ地へ足を運ぶ。彼らの話す言語を身に付け、より理解したいと思う。この気軽な一連のアクションがユビキタス的だと思うのです。インターネットの世界でリンク先にどんどん飛ぶように、次々にアクションを起こすこと、また行動範囲を広げることが自然になっているのはユビキタスが根付いている証だと思うのです。お隣だけどさまざまな意味でわだかまりがあった国ともあちこちでつながってコミュニケーションが取れるようになってきている。この現象を、映画が誘う儒教的ユビキタスネットワークと考えることにしました。 |
| |
フリー編集記者
小栗山 麻子(おぐりやま あさこ)
美学美術史学科卒業。カルチャー誌編集部、書店修業を経て、1996年よりフリーランス。
守備範囲は芸術全般。2001.10〜2002.3、パリを拠点とし、文化を中心としたヨーロッパ通信を日本に発信。
|
|
| |