One-stop Talk 「フランチャイズの次にくるもの・・・」ファーストフードからプレミアムサービスへと変わる外食産業

「挫折の連続からつかみとったもの」〜カーネル・サンダース 物語〜
 ケンタッキーフライドチキン創業者

1890年。ハーランド・サンダースは、インディアナ州で生まれた。 6歳の時に父を失ったカーネルは、3人の兄弟の世話をしながら、働きづめの母を助けるために家庭料理を手がけるようになった。12歳の時、母の再婚をきっかけに家を出てからは、機関車の助手や保険の外交員、蒸気船、フェリーのサービスステーションなどの様々な職業を転々としながらも30代後半でガソリンスタンドを経営するが、干ばつや大恐慌で倒産する。挫折の連続で人生の半分をすごすが、決してあきらめることはなく何度もチャレンジをくりかえすタイプの人間だった。

40代になった1930年、ケンタッキー州コービン市でガススタンドの倉庫を改造して、なんとか6席のカフェ「サンダースカフェ」をオープンした。手製の料理を得意としたカーネルは、裏庭で野菜と鶏を育成し、創意と工夫にみちた料理を提供し、ガススタンドの客の舌を喜ばせた。そして、サンダースの 料理は評判に評判を呼び、1935年には、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を受賞し、カーネル・サンダースと名乗れるようになった。そして1939年、11種類のハーブとスパイスをブレンドしたフライドチキンのレシピを完成させ、大人気となる。カフェは147席のレストランとなった。折しもアメリカはルーズベルト大統領によるニューディール政策(1933年)により、景気の回復の兆しが見えかけていた頃であった。

しかし、1950年代に突入した途端、モータリゼーションの展開と共にコービン市にハイウェイが着工され、人の流れが代わり、サンダースの店はバイパスの完成と共に、取り残されたビジネスとなってしまった。そして、レストラン事業を売却し借金を抱えたカーネルは、社会保険で生計を立てるところにまで追い込まれてしまう。またもや、天はサンダースに苦行を強いたのである。

1952年、サンダースは、背水の陣の思いで借金に借金を重ね、手元に残ったわずかな資金とフライドチキンのレシピと圧力釜をクルマに積みこんで、廃業を追いやられたハイウェイを使って近隣のレストランのオーナーやシェフに得意料理の訪問営業をかけたのである。自前の料理を披露し、味見をさせて気に入れば調理法を教え、一羽売れるたびに5セントの手数料をもらうというビジネスをレストランオーナーに提案した。世界で最初のフランチャイズビジネスの始まりである。
そして1955年、念願の「ケンタッキーフライドチキン」一号店をオープンする。実にカーネルサンダース65歳の時であった。現在、ケンタッキーフライドチキンは世界69カ国で9,000店舗を展開、サンダースはリタイア後も、味の親善大使として有意義な余生を歩む事ができたのである。

× close