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 カンギエンと、Linuxカスタマイズ型研修

●私塾から羽ばたいた人材が幕末・明治を動かした。

江戸時代の日本は寺子屋、私塾、藩校という多様な教育機関が整備され、同時代の欧米諸国と比較しても高度な教育制度を持っていた。
長く続いた鎖国から一転、激動の時代となった幕末。佐幕・倒幕でまっぷたつに割れるなか、若い才能を育てあげたのは日本全国にあった「私塾」だった。医学、語学、思想、科学など最先端の学問を扱う私塾には、体制や身分を超え全国から入門者が殺到したそうだ。
当時の著名な私塾としては、例えば吉田松陰の松下村塾は、活動期間はわずか1年ながらその門下に、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、松本鼎など維新から明治にかけての名指導者を輩出した。
また緒方洪庵の適塾は、蘭学、西洋医学などの先端技術を教える私塾で、門下生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎などがいたという。この他にも西洋医学を教えたシーボルトの鳴滝塾なども有名だ。


●最大級の人材養成機関、咸宜園(かんぎえん)。

なかでも、輩出した人材の質と量、そして緻密な教育カリキュラムで群を抜いていたのが、幕府の天領日田、(大分県日田市)にあった咸宜園(かんぎえん)。
広瀬淡窓が1807年に開塾した日本最大規模の私塾といえる。
その最盛期には200名の塾生が学び、歴史を閉じる1869年までの約60年間で塾生数は約4800名、日本のほとんど全域から塾生が集まってきたと言うから、その人気はすさまじいものだったと想像できる。
蘭学者の高野長英。近代軍制の父、大村益次郎。近代の学制確立に貢献した長三州。誰もが一度は見たことのある勝海舟、榎本武揚、坂本龍馬の写真を撮影した、日本写真の開祖、上野彦馬。さらに総理大臣を勤めた清浦奎吾、大審院長の横田国臣など、そこから輩出した人材は政治、軍事、医学、科学を問わず、幕末から明治にかけて近代日本を動かす原動力となった。


●カスタマイズ自在なカリキュラムから、有能な人材が次々と。

咸宜園の教育理念は有用な人材を育成し、一刻も早く世に送り出すことにあった。
そのためには、従来のような先生が生徒に一方的に講義し、習熟は生徒次第というスタイルでは無理があり、一人一人の習熟度に応じたカスタマイズ型の教育が実施された。この時、塾生が今どのレベルにいるかが誰の目にも客観的に明らかでなくてはならず、門下生の習熟度を示す指標として月担評と呼ばれる成績表を基本にした。
この月担評は19ランクに分かれており、各ランクに応じた教科や難易度の異なるカリキュラムが用意されていた。塾生は毎月行われる定期試験と課業(課題)に合格すると、上のクラスに昇進することができ、習熟度に応じた地道なランクアップも、飛び級も可能だった。このような公平で合理的な教育システムは、封建的な社会の中では画期的なものだったといえる。
教科の豊富さも咸宜園の特長のひとつであり、四書五経を教科の中心としつつ、上級者は老子・荘子などさまざまな学問を習得できた。また授業形式も実に多様なものが用意されており、講義だけではなく、読解、解釈、ディベート、詩や論文の作成、さらには夜間にはテーマを決めた自由参加のゼミまであったというから驚きだ。
咸宜園のカスタマイズ教育は、個人を対象としたものだが、昨今は企業を対象としたカスタマイズ教育も必要だ。例えばLinux分野。今後Linuxは新しいセキュアなOS環境として期待されており、一刻も早くセキュリティーの知識とスキルを持った人材を育成することが求められている。この時、不特定多数を対象とした汎用のエンジニア教育では無理がある。特定企業のIT事情を踏まえ、実機による演習を中心としたカスタマイズ型研修が、現在ユニアデックスから提供されている。幕末とは少し大げさだが、次代を担う即戦力育成に注目したい。


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当サービスは、2007年4月をもちまして提供を終了いたしました。


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