GWの大型連休は、高速道路料金が1000円という、どれだけ走っても(使っても)同じ状態のフラットレート(固定料金)の「常時接続型」となったことにより、大渋滞で困った方も多いのではないだろうか?ハンドルを握ったままのオトーサンを尻目に、家族は、iPhone、ニンテンドーDS、PSP、ワンセグケータイなどのそれぞれのユビキタス端末で、それぞれの仮想世界で別々のヒマを過ごしていた。オトーサンは、「寡黙な家族」を目的地へ運ぶための長距離ドライバー化していた。
なんだか家族のお出かけまでも、クラウドのおかげで様変わりしてきたようだ。 |
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しかし、それは悪いことばかりではないようだ。
家族は、家族と一緒に居るという気配を感じていながら、それぞれの世界で別々のコミュニケーションしている。また家族ならではの互いが何をやっているのかは、なんとなく察することができる能力を持ち合わせている。寡黙な家族は、これからの家族の新たなスタイルなのかも知れない。おじいちゃん世代からは不思議に見えるだろうけど…。
もちろん、家族や知人の写真や動画は、写真共有サイト、動画共有サイトで共有。
かつてのように、写真を焼き増ししたり、ビデオをダビングしたり、DVDに焼いてあげ、それを郵送するなんてこともない。共有サイトのURLをお知らせすればいい。たったそれだけで、すべてが共有できてしまう。
コピーを量産することなく、一つのデータが万人で共有できるのだ。
そのおかげで、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんたちもYouTubeで、孫の姿を手軽に楽しめる時代になってきた。
また、一部の100万回以上アクセスされるような動画も、最近ではテレビでよく紹介されるようになった。
近い将来、「今日のネットの出来事」なんてテレビ番組が登場することだろう。
それだけ、ネット社会は、すでにヴァーチャルではなく、リアルとなってきたからだ。 |
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また、最近では、「Eye-Fi」という動画も送れる、CFカードに無線トランシーバーがはいったものが1万円以下で手に入るようになった。 最初に自分のアカウントを設定しておけば、写真や動画を取り終わった瞬間から、無線LANを経由して、FlickrやYouTubeにアップロードされる。いや、自動でアップロードされているので意識する必要がない。この便利さを一度でも体験してしまうと、USBを接続するのが面倒臭くなってしまうだけでなく、バックアップでさえも面倒くさくなってしまった。
無料のWeb2.0系の共有サービスを全面的に信頼している訳ではないが、自分が工夫してバックアップを取るよりも、クラウドサービスにアップロードしていたほうが、万一の場合にも安心だったりする。世界で一番、自分のPCほど信頼できないものはない(笑)。
さらに、自分でファイルを工夫して管理するよりも、クラウド上で検索したほうが早かったりもするから、もうやめられない、止まらない。
このクラウドに依存する感覚が、日常化してくる事によって、なんだか自分で所有して管理するコストの方が高くつくのでないかと思うようになってきた。 |

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思いきって、ドキュメントスキャナーのScanSnapを購入し、重要書類は、PDFで検索可能なファイルにして保存しはじめた。必ず、この中にあると思えると保険となる。
また、雑誌や情報紙などはスキャンした後、JPEGでFlickrにタグをつけてアップロード。これでもう、iPhoneひとつあればどこからでも閲覧できる状態になった。
また、MacにまとめてiPhotoから取り込めば2重のバックアップ体制も完成。もちろん、紙は燃えるゴミとしての資源ゴミ行きだ。これだけでも住環境が変る!
こうやって、読んだ後の雑誌は、すべて目の前から無くなっていったが、クラウド上とデスクトップ上にしっかりと保管されている。むろん目的は個人用、他に流出させるつもりはない(笑)。
かつての音楽CDの棚と一緒で、プラスチックの円盤の大半は、iTunesの中に入って利用頻度をあげたのと同様の効果を生み出しはじめている。
今までファイリングして、管理していながらも、結局タンスの肥やし化していたものがすべて一掃された。保険のために捨てられなかったのだ。
さらに、リアルな空間にゆとりができつつある。
何よりも、精神的にスッキリ!というのが一番の効果だろう。考えてみると、ボクたちの生活は情報の入れ物(パッケージ)のために物理的な場所を浸食されているような生活だったし、家賃の大半は、情報のハードウェアの置き場所のためだったのかもしれない。
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クラウド時代は、シンプルな「持たない主義」のほうが便利で合理的なのでは。
今までの価値観では、物質的な豊かさがすべてを象徴していたが、不必要なものを持たない生活のほうが、実は本当の意味でのリッチかもしれない。
経済的には、市場を潤沢にしないと問題があるのかも知れないが、20世紀の大量生産、大量消費の行く末が、何度もバブルを繰り返し、不幸な人をたくさん生むようであれば、それは、とても高度化した文明社会とはいえないだろう。
21世紀も、もはや10分の1を終えようとしている。単なる20世紀のリメイクではなく、反省点もふまえた新たな21世紀の価値をボクたちは創造しなければならない。
ネットで、共有している情報やコミュニティは、物質的にはつながってはいないが、物質的なものよりもつながっている感覚を感じさせてくれるものが非常に多い。
リアルという奇遇の連続で積み重ねられた歴史だけではなく、ネットの必然性によって導かれた世界でのコミュニケーションの中にも新たなリアルが形成されつつある。
クラウドの先にある未来は、そんな今まで目に見えなかった価値を、育んでいくところからきっとはじまるのだろう。 |